​雅楽とは…

雅楽は、古来より日本人が培ってきた音楽と、アジア大陸とその周辺各地で生まれ育てられ、およそ五世紀頃より順次日本に伝えられた楽舞とが融合し、平安時代に完成したものである。

​雅楽のジャンルには、その形態から、管絃(管弦楽)、謡物(声楽)、舞楽(舞踊音楽)の三種類がある。ここでは定期演奏会で演奏される曲目を中心にその一部を紹介する。

管絃

 管絃は雅楽の最も代表的な演奏形態である。笙、篳篥、龍笛の三種類の管楽器と、筝、琵琶の二種類の絃楽器、羯鼓、太鼓、鉦鼓の三種類の打楽器からなり、規模によって構成人員が増減するが、通常管楽器は各三名ずつ、弦楽器は各二名ずつ、打楽器は各一名の計十六名で演奏される。オーケストラでは、普通弦楽器が主旋律を演奏するが、雅楽では、管楽器が主旋律を奏で、絃楽器はリズム楽器としての役割を担っている。

 本公演では管絃として、黄鐘調より『海青楽』、また、『拾翠楽』を残楽三返の形式で演奏します。

残楽三返

 管絃の一奏法で、絃楽器の奏法を活かし賛美するために考えられた奏法であるとされる。残楽三返の奏法は、曲を三返繰り返すうち、第一返は全員で演奏する。第二返は各管楽器の音頭(主奏者)と主琵琶と筝全絃で演奏し、曲の半ばで笙は演奏を止める。第三返のはじめに笛が演奏を止め、篳篥と絃楽器のみの演奏となる。篳篥は演奏と休止を繰り返しながら、筝の演奏の間を縫うように演奏する。曲により筝は輪説(替手:連、結手、返爪、障ル等の特殊な奏法)を演奏する。通常の演奏では聞き取れない筝の演奏が際立つ、美しい奏法である。

御神楽 其駒

 宮中において神楽歌、人長舞を奏するもので、「御神楽の儀」という。清和天皇(在位八五八~八七六)の大嘗会の後に、豊楽殿にあった「清暑堂」において行われた臨時神宴が最初とされ、後に一条天皇(在位九八六~一〇一一)に「内侍所」で隔年一二月に行われ、白河天皇の承保(一〇七四~一〇七七)頃から毎年恒例となったという。

​ 御神楽の起源は古く、『古事記』や『日本書記』に記されている。天照大神が弟の須佐之男命の乱暴に怒り、天の岩戸に入ってしまわれたので、天地が闇となってしまい、多くの神々が集まり、出てきていただく相談をした。天鈿女命が天の岩戸の前で神懸かりになって踊ったので、神々がどっと笑いだしたのを、天照大神がそっと岩戸を開けて、覗こうとしたところを天手力男命が怪力で開け、再び高天原も明るくなった。これが御神楽の起源とされている。

 現行の御神楽の儀は毎年十二月中旬に宮中の賢所にて行われ、およそ十数曲に及ぶ歌舞を約六時間かけて奏する壮大な組曲となっている。今回演奏する「其駒」はこの御神楽の最後に演奏されるもので、拍子(本拍子・末拍子)、和琴、神楽笛、篳篥と共に人長舞が舞われる。

舞楽

 舞楽は、雅楽の楽器の伴奏によって舞を舞うものである。平安時代に、それまで独立してあった各地の楽舞が、左方と右方の二種類に分類整理された。左方の舞楽は、主にインド、中国、西域などより伝来したもので、これらの音楽は『唐楽』と呼ばれ、上記の三種類の管楽器と三種類の打楽器で演奏される。また、舞人は赤色系統の装束を着用する。

 一方、右方の舞楽は、主に朝鮮、渤海沿岸などの中国大陸の北東方面から伝来したもので、演奏音楽は主に『高麗楽』と呼ばれ、篳篥と高麗笛の二種類の管楽器と三ノ鼓、太鼓、鉦鼓の三種類の打楽器によって演奏される。舞人は主に緑色系統の装束を着用する。​

右方舞楽の代表曲

​納曽利

​左方舞楽の代表曲

蘭陵王

舞楽 太平楽一具

​太平楽は左方舞楽の武舞に属する代表的な曲である。この曲の由来は紀元前二〇六年漢の時代、楚の項羽と漢の劉邦が鴻門で会した際に、項羽の家臣が舞いながら剣を抜いて劉邦を撃つ機会を狙っていたが、項羽の叔父の項伯が、同じく舞いながらこれを阻止した様子をもとにした舞であるとされる。

舞人装束はこの舞独自の装束で、左方袍に括袴を着用し、兜をかぶり、太刀を佩き、鉾を持ち、鎧をつけ、鎧の上には奇怪な獣面などの肩喰と帯喰を着け、手には籠手、足には脛当てをまく。最後に魚帯と背中に胡籙を背負う。この胡籙に納められる矢は、戦時とは逆に鏃を上にしており、この舞が平和を祈念する舞であることを示すものとなっている。

曲の構成は「調子」、「道行(朝子小)」、「破(武昌楽)、「急(合歓塩)」、「急 重吹」からなり、演奏には約五〇分を要する。

​即位の大礼では必ず舞われる豪華絢爛な祝賀の舞である。

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